バイリンガル・マルチリンガル教育⑤|ギフテッドにとってアウトプットが不可欠な理由
ギフテッドの特徴の一つに「Extremely verbal and talkative (極めて言語的でおしゃべりである)」というのがあります。
脳にインプットしたものを残らず言葉でアウトプットして出し切らないと気が済まない。
ご多分に漏れず、ゼノサワもアウトプットが激しいです。
入れたら出す。とにかく出す
幼稚園入園前、ゼノサワにとってお絵描きは絶好のアウトプットタイムでした。
一緒にアニメにどっぷりハマるのを楽しみにしていた親の思惑とは裏腹に、有名どころのちびっこ向けアニメキャラたちには目もくれず、ゼノサワのお絵描きの対象はもっぱら「図形」「国」「大陸」。
バイリンガル・マルチリンガル教育において母国語第一主義を重視し、会話は日本語とタイ語を貫いていた我が家ですが、動画関連は英語圏のものにお世話になっていました。
子ども向けに気合の入った素敵な動画がたくさんあるからです。
そのなかでも特にゼノサワが気に入っていたのが、国に顔がついていて歌うたっている動画とか、スポンジでできたアメリカの州が大砲から飛んでって地図にくっつくのとか、かっこいい歌に乗せて地球上のあらゆる国の解説するのとか。
大人が見ても面白く、とてもよくできています。
そしてゼノサワの場合、お気に入り動画を2、3分ほど観るとパタンとパソコンを閉じ(基本的に我が家のデジタルデバイスはスマホではなくパソコン。ケーブルにつないで)、自分専用の小さなプラスチックのテーブル(レゴのテーブル)に走って行って、観た内容を白い紙に描きだします。
一通り描き終えるとまたパソコンにもどって動画を観る。数分すると閉じてまた自分のテーブルに走る。といったことを延々と繰り返します。
本でも同様です。
ある程度閲覧したらその本は閉じてマイテーブルへと走ってアウトプットします。
A4紙500枚入りパックが一日でみるみるうちに減っていき、よくわからない物体が書きなぐられた紙が山のように積もっていきます。
それはなに?と聞くと、「ロシア」や「イエメン」などメジャーな国から、「アンティグアバーブーダ」とか「セントビンセント・グレナディーン」まで、それ一体何、どこにあるの、と言った国名まで返ってきます。
そして確かに細部までそれらの国の形になっている。
地図関連は国の位置はもちろん、それぞれの形でも完璧に覚えているみたいで、バチカンとかリヒテンシュタインとかアンドラとか、もうただの点だったり地図上で見えなかったりするようなのもあるんですけど、それぞれちゃんと形でわかるらしい。
極端な記憶力に不安になる
3歳くらいの時、英語圏の中学だか高校の地理の授業の動画をみていて、先生がフリーハンドで各国の形を描いている動画だったんですが(厳密にいうと薄く下書きがしてあって先生はそれをなぞっていただけなんですけど)、ゼノサワはみているあいだ中、「その国の形はそうじゃない、ここの線が違う」とか「この海岸線はそうじゃない」などといちいち指摘していました。
幼稚園で問題が発生(こちらの記事ご参照)したのもちょうどこの頃で、これって手放しで喜んでいいのか?と、諸々の心配事が出てきた時期でもあります。
紙だけではなく、積み木やレゴはもちろん、手持ちのおもちゃを総動員して、脳に入ってきたことを自分の手で現実の世界にとにもかくにも再構築。
そういえば、これも幼稚園の時ですが、プレートテクトニクスと大陸移動説に夢中で、再現しようとして紙で「大陸」を作ったはいいけど、厚みがないのでいまいち「大陸が移動してくっつく」感覚が再現できず、厚紙にしてみたり紙を何層にも張り付けたりと私も一緒に試行錯誤したんですけどどうも納得いかず、最終的に「くもんの世界パズル」買いました。
くもんの世界地図パズル
大陸や国の位置関係を、パズルとして組み立てながら体感的に理解できる教材。 平面の地図ではつかみにくい「大陸が分かれ、移動し、つながる感覚」を、 手を動かすことで立体的にイメージしやすくなります。
「国」を並べたり型にはめていったりするのはもちろん、厚みがあるので「国」をしっかり触ってその形を心行くまで堪能することもできますし、「大陸」バージョンもあるのでプレートテクトニクスと大陸移動の再現にお勧めです。
アウトプットできなくなるということは、息ができなくなることと同じ
そして、最強のアウトプットは「言葉」です。
外出時は特に、書く紙も構築する道具も手元にないので、ひたすら言葉でのアウトプットになります。
言葉が達者になればなるほどおしゃべりも加速していき、幼稚園に入園するころには、脳に入ってきた知識を余すところなく所かまわず、こわれた機械のように果てしなく解説するようになりました。
言葉でアウトプットできなくなる、ということは、ゼノサワにとっては息ができなくなるのと同じことだったのかもしれません。
完全英語環境の幼稚園に入園して、それまで使っていた言語が周りに全く通じない状態に置かれてしまったゼノサワ。
あの頃のゼノサワの幼稚園での写真をみると、とても悲しい顔をしています。
子どもは一人一人違います。
子どもは順応が早いとは言うけど、特性のあるゼノサワにとっては、人一倍しんどい試練だったんだと思う。
一般論が全ての子どもに通用するわけではない、ということに、もっと早くに気づいてあげられればよかった。
生まれた時に既に、インターナショナル幼稚園、そしてインターナショナルスクールスクールに通わせる予定だったのだから、最初から英語で育てていれば、入園時にあんなにつらい思いをさせることもなかったのかもしれない。
かといって時間を戻せたとしても、私の母国語第一主義は変わらないし、その時その時ベストの選択と信じて闇雲に進んでいくしかなかったんだけど。
あのマインドコントロール事件は、思い出すと今でも心が痛む一件です。





























