ご挨拶しない反応がない目線が合わない

これまでも、何かにつけて母国語母国語とわめいている(【バイリンガル・マルチリンガル教育】シリーズご参照)ので皆さん既にお察しとは思いますが、私は人一倍自国の文化や礼儀にこだわりがあります。

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マルチリンガルファミリーだからこその自国の文化へのこだわり

と、偉そうなことを言っても実際には礼儀作法に至っては平均点以下というか落第点ですが、口先だけではものすごくこだわっているのは確かです。

それはやはり、外国に住んで外国人と暮らしているという状況が、余計かたくなに日本だとか母国語だとかにこだわる源になっているんだと思います。日本に住んで家族全員オール日本人の暮らしをしていたらここまでの自分の国についてのこだわりはなかったと思います。


注目

2つの国のパスポートを持つ息子が生まれてから、さらに日本人としての礼儀にこだわるようになりました。

特に、子供がハーフだったりインター通ってたりするとどうしても言われてしまうであろう「やっぱり○○だから××があんまりできないのね」のセリフを聞きたくない意地が出てきました。

実際には無理な話ではあるんですけどね。

どんなにがんばっても、日本人のご家族に囲まれて日本で育っているお友達にはかないません。母国語第一主義とかエラソーなこと言ってても、家族の会話にはやっぱり英語やタイ語が混じってしまっています。

でも、会話力は無理かもしれないけど、日々の努力で身に着けられそうな基本的な礼儀であれば、せめて外で一瞬会った相手に「あら上手ねー」とお世辞でも言っていただけるくらいにはできるようになるはずと信じていました。

礼儀作法とギフテッド

さて、日本人の礼儀作法の基本中の基本といえば、やっぱり「ご挨拶」でしょう。

元気にご挨拶できる子供は、何はともあれ誉められます。

だから子育てで最初に力を入れたのは「ご挨拶」でした。

息子の父親である私の夫はタイ人です。タイでも子供のころから「ワイ」という胸の前で手を合わせてご挨拶をすることをしつけられます。そして日本よりももっと、目上の人に対する礼儀作法には厳しいです。

ですから我が家では、日本式タイ式両方において、礼儀作法は特に厳しくしつけようと努力してきたつもりです。

なのに、なぜか息子は「挨拶しない」どころか「反応が全くない」「目線さえ合わせない」子どもになりました。

タイではご挨拶の「ワイ」ができると絶賛される

タイ人の子供だと、よちよち歩き始めるころには胸の前で手を合わせてご挨拶をする「ワイ」ができるようになる子もいます。

言葉は発せなくても、小さな子供が手を合わせる仕草はとてもかわいらしく、ご挨拶ができるお行儀のよい子として称賛されます。

日本だと「こんにちは!」と元気に大きな声ですればこその「ご挨拶」ですかね。お辞儀だけだとご挨拶としてはもう一歩なのかな?

タイの「ワイ」は、会釈やお辞儀よりも動きがしっかり「ポーズ」なので、やったやらないがはっきりわかります。そのため、もちろん「サワッディークラップ!」と大きな声がついてくればそりゃあ大変素晴らしいですが、動きの「ワイ」だけでも十分称賛に値します。


そしてできる子たちはみんな、みるからに親に「よく仕込まれて」います。

タイ人の子連れの知り合いに会うと、保護者の方の「はい、ごあいさつ!」の掛け声とともに、みんな条件反射のように手を合わせてくれます。

全自動で反応してます。

大体乳幼児が心を込めてご挨拶なんてするわけありませんし、形が出来てりゃそれでいいんです。

人に会ったらまずその動きをするのが、当たり前になる。礼儀が自然と身についているわけですから、機械仕掛けみたいなワイでも私から見れば大変素晴らしくうらやましい。

条件反射でいいから形から入って、それを当たり前の習慣として身に着けさせい。我が家もひそかにそんな戦略を立てておりました。

なのに。

発達障害を疑われる

話しかけられても、「はい、ごあいさつ」の号令をかけても、「ワイ」はおろか子供らしいリアクションを全く返さない息子。

お母さんが日本人だからタイ式のご挨拶はできないのか、と思われたこともあるかもしれません。めげずに色々試してくれる人もいましたが、世界共通であろう「バイバイ」なんかも絶対しない。反応自体がなく目も合わせない。

人見知りとも違う異様な空気に、みなさん戸惑いを隠せません。

そして微笑みの国タイ。フレンドリーな分、名前さえ知らない赤の他人にでも迷うことなくご意見をくださいます。

「この子はどこかおかしいんじゃないか。」

と。

「出来の悪い子」の親としてふるまう歯がゆさ

自分の子供を人前で思う存分褒め称えるお国柄も地球上にはあるようですが、私は良くも悪くも謙虚が美徳の日本人です。

ギフテッドと判定されてからでさえ、いまだに私は息子の「プラスの方向の特性」を「謙虚に」説明する術がわかりません。だから結局何も言えません。


成長するにつれ、その「プラスの方向の特性」を息子自ら学業等で結果を出して証明してくれるようになり、自然と周りから認めてもらえるようになってきているおかげで歯がゆい思いをすることも少なくなりましたが、ギフテッド判定前の幼少期はプラスとマイナスのふり幅が大きすぎて、どうしてこうなっちゃうのかわからないことが盛りだくさんで本当にどうしようもなくて、

「ほらご挨拶しなさい、なんでできないの。」

と「単に出来の悪い子」の親としてふるまうしかありませんでした。

視覚優位型ギフテッドの完璧主義

専門家を探して診ていただいて、息子が視覚空間認識力99.8パーセンタイルという極端な視覚優位型ギフテッドであることがわかった今では、どうして息子がこうだったのか、ということが理解できます。

ギフテッドは失敗を極端に恐れて、トライ&エラー型の学習が苦手な場合が多いようですが、視覚優位型の場合「完璧主義」が特に顕著になるようです。

極端な視覚優位型ギフテッドの息子は、極端な完璧主義者なのかもしれない。

極めて簡単なご挨拶、たとえ手を合わせるだけの仕草であっても、そこで万が一発生するかもしれない間違いや、引き起こされる予期せぬハプニングに恐れおののいていたのだと思います。


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「面白そうだからとりあえずやってみよう」という一文は息子の辞書にはない。

人見知りどころのさわぎじゃありません。

よくわからないことは絶対しない。

そして手を合わせるだけでも恐ろしいのだから、日本式の大きな声で元気にご挨拶なんてもってのほか。

成長するにつれてその辺はどんどん改善して、今や立派にご挨拶もお礼も言えるようになりましたが、当時は親としてはまずその辺どうにかしなくては、という思いが強くありました。

だから息子の特性なんて考えもせず、こともあろうに礼儀作法が厳しいことでは世界最強であろう習い事に通わせてしまったのです。

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